私が開院した理由

小さな時からからスポーツ大好き人間

ものごころついた時から外で遊ぶのが大好き。
いつも動き回って落ち着きのない子供だったようです。

中学・高校時代は勉強など全くせずにバレーボールに夢中、大学の四年間は水泳のコーチをやり、スポーツとともに生きていました。

このころは特に「将来●●になるんだ!」という意識はなく、大学の就職活動になってもぼんやり「社会人になるんだな~」「できればスポーツにかかわる仕事につけたらいいな~」と漠然と考えていました。

カミさんと知り合ったのも大学時代のこの頃です。出会いはスポーツクラブでした

大学卒業後

スポーツ選手かかわる仕事といっても固く心に決意をしたわけではなく、ぼんやりとそうであればいいなと考えていた程度でした。

なので「まずは現実を見て!就職だろう!」と(笑)

小さい頃から目が悪かったということもあり大学卒業後は「物が良く見える喜び」を多くの方に感じて欲しくて、メガネ・コンタクト販売の仕事をしていました。

働いていた先で大規模なリストラ

7年間務めていたメガネ・コンタクト販売会社が大規模なリストラをすることになり、29歳の時退職することとなりました。

僕は若かったことも有りすぐに次の就職先を見つけることが出来たのですが、当時40代前後の方々はそうそう就職先を見つけることが出来ず、相当困っている様子でした。

それはそうですよね。
子供を家族を養わなければいけない立場の方々が多かったのですから・・・・

そして僕はその様子を見て「これはまずい」と思いました。

確かに今は若いから就職もできるだろう。
けれど40代になって、家族を養わなければいけない立場で自分が同じようにリストラにあったら、同じことがおきるんんじゃないかと思ったのです。

この時から自営業というものを意識し始めました。

転機

リストラからの再就職。「コレはまずい、自営業を」と考えつつも、そうそう何をするかというのは浮かばず、転職先の眼鏡屋で働く日々です。

ところが日々どうしたものかと考えながらもダラダラと日常を送る私に、人生最大の危機が訪れました。

それは網膜色素変性症という目の病気の発症。難病指定されていて現代医学での治療法はありません。

症状的には、簡単に言うと視野・視力がだんだん落ちていき、最終的には視力を失う病気です。視野は狭まる、視力は落ちる・・・
楽観的な私でさえ、この時はもう人生は終わりかもしれないと思ってしまうほどでした。

けれども後々これが私にとって「最高の転機」となったんです。

整体師を志すキッカケもスポーツ

目が見えなくなったら今の仕事は無理。そうなったらどうやって家族を養っていこう・・・

その時ふと思い出したことがありました。高校時代にひどい坐骨神経痛になったとき、整体で救ってくださった先生のことです。スポーツ大好き人間の私にとって、坐骨神経痛は本当に辛いものでした。

それをすっかり治してくれた先生の顔と、治った時の自分の喜びと感激。整体という仕事があることをを思い出したのです。

整体師なら視力を失ってもできるかもしれない。それに自営業だからリストラとは無縁だ。

「物が良く見える喜び」を多くの方に感じて欲しかったのと同じように、「身体の不調が取れる喜び」を感じてもらえる仕事は最高かもしれない!

それが僕にとっての 整体師の道を歩むキッカケでした。

カミさんを拝み倒し整体学校に

その時、すでに結婚していて子供も二人いました。

それだけに、「正社員を辞めて、バイトをしながら整体学校に入りたい」とどうやってカミさんに伝えようかと思っていたのですが、いざお願いをしてみると「目の病気もあるし」と許しを得られることに。

正直生活は決してラクじゃなかったはずなのですが 、その中でカミさんは仕事を掛け持ちし家計を支えつつ 子どもたちのPTAや自治会、少年団の役員オンパレードを こなしながら、 僕の仕事のスタートも支えてくれました。

彼女がいてくれたからこそ、僕が整体師として今ココにいるんだなと、改めて感謝しています。

その後も技術を学ぶため

学校を卒業後、最初はお昼過ぎまでは眼鏡屋でバイト。夕方から夜まで自宅マンションの一室を使って細々開業。

だんだん口コミが広がり「このままでは中途半端になる!」と思い、店舗を借りてきちんと営業開始。最初は「ボキボキ整体」を施術していました。

それなりに効果はあったのですが、施術できない方(骨の弱いお年より・妊婦さんなど)がいらっしゃいました。

このままではいけないと思い、勉強の日々。「押さない・揉まない・エネルギー療法」を学ぶことができました。この療法のおかげで、どんな方でも施術可能となりました。

ところがこの施術方法にも一つ欠点がありました。
「時間が掛かり過ぎる」のです。お一人に50分位かかります。

「痛みのある方の体に負担をかけずに貴重なお時間を無駄にしないような施術はないだろうか?」再び勉強の日々です。

いくつもいくつも施術法を学びました。

そしてそれらの良い所を取り入れ、自分自身で試行錯誤しながら工夫をした結果、施術時間は長くても20分。患者さんの体に全く負担をかけずに済むようになりました。

優しい施術、そして多くの来院者さんへ

その後も来院してくださる方々の辛さを少しでも多く 改善したいという想いから「頭痛」「メンタル面」などで困っている方々にも対応できるよう様々な技術を学び、多数の方から 喜びの声を頂けるようにまでなりました。

そして今現在、まだまだよりよい効果を実感して頂けるようにと精進の日々。

学時代は勉強が好きな方ではなかったのに
「ここに来て本当に良かった」
「痛み止めを手放せるようになるなんて」
「もっと早く来ていればよかった」
という多くの喜びの声を生で頂くことで学ぶことへ自然と前向きになり、来院者さんから自分自身が成長するキッカケまでもを頂けました。

サラリーマン生活時代のわたしの目の病気(網膜色素変性症)が転機と
なり、整体師としての道を歩み始めたわけです。

整体師という道を通じて多くの方々と出会い、自分と向き合い、学び、成長を実感すると同時に、知らず知らずのうちに様々な症状の方に対して貢献したいという想いに揺り動かされていたことに気が付きました。

振り返ってみると整体師としてだけでなく、スポーツをこよなく愛し、身体の消耗が激しいマラソンランナーでもあるからこそ分かる「身体の使い方」という面からのサポートが、出来るようになってきている事にも気付くことも出来ました。

1つの転機、病気、家族、そして多くの方からの支えによって
今の自分がいることに心の底から感謝しています。

皆様のおかげで2005年に今の場所に移転。現在に至ります。
「日々の苦痛・不安から解放されて毎日を気持ちよく、楽しんで生活できる人が増えますように!!」そう思いながら、毎日施術させていただいております。

目の病気の事も含め、私の周りの全ての事に感謝の日々です。

 

アームに込めた思い

移転に伴い屋号を「アーム療整院」に変更しました。

その当時は電話帳広告の全盛期。辞書と同じであいうえお順に店舗が掲載されます。そこで整体院で一番に掲載されたくて「あ」で始まる名前にしたかったんです。

この話は私たち世代ではないと理解できないかもしれませんね。それと覚えやすくて発音しやすい。それも条件でした。

そこで考えに考え抜き「アーム療整院」という名称にすることに。

このアームというのは英語のarm(腕)と思われている方がほとんどだと思います。まあそうとっていただいても良いのですが。

本当はフランス語のame「魂・心・(物事の)本質」なんです。以外でしょ。こちらの意味が当院の「アーム」の本当の意味なんです。

命名した時の気持ちを忘れず、物事の本質を探りながら、日々腕を磨き続けていきたいと思っています。

残念ながら視力はありませんが、心の視力は無限大。心の目から腕を通してあなたの不調を改善します。

「あなたの笑顔が私の幸せ!!」私の元気パワーの源です。

アーム療整院